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「方向転換の連続でした」と、彼は笑った。

 

四大公害地帯の一つ、三重県四日市市で育った彼は公害対策を目指し大学では工学部に入学した。

ところが、教養課程で林学を学んだことと、もともとの自然好きが嵩じて農学部に転部した。
当初は研究者を目指していた彼であったが、より社会に役立ちたいと考え環境庁(当時、現環境省)に入庁した。
環境省では、霞が関や現地にて国立公園の管理、野生鳥獣の保護管理、国会対応などに追われた。思い出に残る出来事を聞かれ、彼は答えた。
「富士山での清掃登山をした時のことです。その登山道ではほとんどゴミを見かけることがありませんでした。でも、あるトイレの横にはゴミの山が…誰かが最初においていったのでしょう。捨ててはいけない、という規制は理解されていても、山をきれいにしよう、そのためにゴミは持ち帰ろう、という心になってもらえていなかったことが残念でした」

公務員時代は彼にとって、なかなかの激務だったという。

特に霞が関勤務時には、帰宅は毎日午前1時頃。
法律の作成に携わっていた際には朝9時に登庁して翌朝5時に退庁することが1週間ほど続いたこともあったという。

「自分すら大切にできないで何ができる?」

 

転換点となったのはある年の冬の深夜。
午前3時頃に退庁したが、既に電車もホテルの空きもなかった。
ふいに何もかもがどうでもよくなって、街中をふらふらと歩いた。ふと気づくと、冷たい雨の中「傘もささずにずぶ濡れで、ぼーっと突っ立っている」自分がいたという。
「これではいけない、と感じました。自分のことすら大切にできないでいて、何ができるのか、と」

自分の弱さを素直に認めたこと、そして富士山で感じた「法律や規制の根幹にある『自然を大切にしたいと願う心』を育てたい」との思いから環境省を辞職し長野県軽井沢町で森のガイドになった。

「ガイドになってから一番嬉しかったのはお客様から『楽しかった。ありがとう』と言っていただけることでした。すごく嬉しかったです。公務員時代は見ず知らずの人からの電話で『お前たちは税金泥棒だ』なんて言われることもありましたので、余計にそう感じたのでしょうね」

そう話した彼は、再度笑った。

 

「より人間らしい生き方へ」

 

軽井沢町ではガイドやクマの保護管理など様々な経験を重ねたが、次第により人間らしい働き方、暮らし方に意識が向くようになったという。

「高校、大学時代に両親が相次いで他界し、大学へは生活費を稼ぎながら通いました。そのため、お金には大変苦労しました。
また、ガイド時代には民間企業として利益を出すことの必要性と大変さも学びました。
お金は非常に大切。不可欠だけど、やはりあくまでもツールだと思っています。もっと違う働き方・生き方をしてみたいと考えました」

2016年春、彼は退職し、縁のあった香川県に移住、一年間の休みをとった。

2016年も終わりに近づいた頃、フェイスブックでメッセージをくれたのが今の無双地図株式会社のメンバー達だった。

お互いが共通にお世話になっている方による紹介がきっかけだった。

彼らと出会い、話をしていくうちに、彼の中で自分が考える人間らしい働き方、暮らし方のイメージが見え始めたという。

「私の仕事は地域の自然やそこに住む人々の暮らしなどを紹介するガイドですので、まずはお客様に私達の地域の様々な面を楽しんでいただけるようにご案内したいと思います。
そこに加えて、地域の自然や人々とのふれあいの中で、お客様が『自分にとって大切なもの、嬉しいことはこれだったんだ』と再発見されたり、そのきっかけを提供できればと思っています。
お客様の心の中にそんなお土産を作れたら最高です」

彼の新たな方向に向かう日々が始まっている。

「人間らしい生き方、幸せな社会に」(本人からのメッセージ)

私にとって一番大切なテーマは、「人の幸せとは」です。

もちろん「幸せ」には様々な考え方があると思いますが、それは一言でいうと「人間らしい生き方」なのかもしれません。


無双地図の活動では、まずは本来全ての人に備わっている「人間らしさ」に立ち戻る機会を提供することで、新しい生き方や社会のあり方(地図)を創り出していきたいと考えています。

事業部名となっている「新記号」は、その生き方や社会のあり方の地図にこれまでにない新しい記号を創り出していきたいという思いから名付けました。これから様々な可能性を試したいと考えています。